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南部政行 (12代当主) : ウィキペディア日本語版 | 南部政行 (12代当主)[なんぶ まさゆき]
南部 政行(なんぶ まさゆき)は、南北朝時代の武将。三戸南部氏第12代当主。第11代当主・南部信長の子。信長の養嗣子となったとする説もある。 ==生涯== 当主としての力がなく、領地を同族に横領されていた。鎌倉幕府が滅亡して南北朝時代に入ると、北畠顕家が奥州を統治していた経緯からはじめは南朝勢力に与した〔興国元年(1340年)に北畠顕信が奥州に下向しようとした時、足利勢の石塔義房の兵に阻まれ白河に止まる。この時政行は幼年だった為、叔父の仲行、茂行、信行等は協力して顕信を援けた。〕〔この叔父たちの輔佐の功により、正平15年(1360年)に政行は奏請して茂行を津軽田舎郡冬井、日間野両郡并に外ヶ浜野尻郷に、信行を田舎郡黒石郷鼻和郡目谷郷に分封した。この時仲行は既に卒していたので領地の分与はなしとされている。『南部史要』第12世政行公事績より〕。 しかし正平元年(1346年)に足利尊氏の調略に応じて北朝方に寝返り、奥州の南朝勢力と戦って勢力を拡大したという説もあり、南部氏系譜を混在ならしめている。元中5年/嘉慶2年10月18日に61歳で死去。後を子の守行が継いだ。
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